正語と正思 2011 9 17

 今日は、心の調律という話をしましょう。
心の中で、「あいつを殴りたい」と思っただけで、
罪になるということです。
このような趣旨は、イエスキリストも、述べていたと思います。
 多くの人は、「ずいぶん厳しいことを言う」と思ったでしょう。
しかし、これは、人間にとって、大事なことです。
 人は誰でも、疲れていると、
つい心の中のものが外に出てしまうものです。
心の中が、いつも、きれいならば、それでも問題ないでしょうが、
心の中が、汚れていると、どうなるか。
だいたい想像がつくでしょう。
信頼を築くには数十年かかりますが、信頼を失うのは一瞬です。
 正語と正思とは、仏教の八正道の根本です。
「正しく語る」と「正しく思う」です。
正しく語るには、いつも正しく思っていることが重要です。
心の中で、いつも思っていることが、あなたそのものです。
 どのように外見を美しく見せても、
心の中が汚れていれば、やがて外見も汚れてくるでしょう。
 現代においては、死後の世界を信じる人は少ないかもしれません。
しかし、厳然として、死後の世界はあります。
 「私は、人生において、一度も刑法に違反したことがない。
しかし、なぜ、地獄の業火の中にいるのか」と言う人が後を絶たない。
 なぜか。
心の中で、いつも思っていることが、あなたそのものだからです。
人間は、肉体と魂で構成されています。
死後、肉体を失いますが、魂は残ります。
魂とは、心そのものと言ってよいでしょう。
心の調律は、生きているうちに行うべきです。



























































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